野火

映画『野火』を見てきました。小説家、大岡昇平の代表作です。

戦争末期、フィリピンにおける日本兵の主人公が困難な状況に追い込まれるというものです。飢えから人肉への関心を寄せたり、狂気の世界が広がってい来ます。

小説は子供のころ読みましたが、正直、細部をよく覚えていませんでした。映画を見て、こんな話だったかな、と思ったりするほど記憶があいまいでした。

 

映画を見て、画像に違和感が2つだけありました。一つは画像がなんだかコント(失礼ながら)みたいでした。そのため、最初映画に入り込めませんでした。しかし、爆発のシーンなどは迫力ありました。二つ目は、野火です。ジャングルの映像が頻繁に使われるのですが、野火というからにはそこらじゅうから煙が立ち上っていてほしかったです。ジャングルを火の海にすることなどできませんからそのような表現になったのでしょう。ただ、煙の中を疲労困憊のなか歩き回るという、私の子供のころのイメージとは違っていました。

 

上に私の個人的な駄説を書きましたが、映画自体は鬼気迫るものがあり、深く考えさせるものであったと思います。少し、グロテスクな表現もありましたが、戦争というものはそういうものでしょう。子供にもおすすめという感じはしませんが、一度ご覧になられたらどうでしょうか。

 

 

安倍政権

安倍政権の不支持率が支持率を上回ったようですね。当然の結果でしょう。

 

テレビ番組を見ていて、岡本行夫が出ていました。彼は、日本だけが平和で第三国が困っているのに見捨てていいのかというような1990年代に流行した議論をしていました。私はそれを聞いて、立ちくらみがしました。

 

当時、左側が平和ボケと言われていました。しかし、その後の小泉政権などの流れでは、結局アメリカ追従しかしてこなかった(PKOなどは一部あったものの)というのが誰が見てもわかる結論です。当時は国連などの重要性についても議論されていましたが、その後の流れとは違います。今、それを蒸し返している岡本のいい加減さにあきれました。今は、右の平和ボケといったほうが正しいでしょう。アメリカへの単なる追従でしかない政治家が日本の伝統やら独立性を論じることがむなしいと誰も感じないのでしょうか。それともそんなことはわかりきっていながら、ピエロを演じているのでしょうか?

おみおくりの作法

『おみおくりの作法』という映画を見ました。

 

主人公は、誰にも注意を払われずに亡くなった死者、を弔うのが仕事です。仕事は丁寧ですが、ゆっくり過ぎるためか首に。最後の仕事に向かうのですが意外なクライマックスがありました。

やや、できすぎた話で、世にも奇妙な話のようでもありますが、楽しめる映画です。

 

松本紘

「京都から大学を変える」という本を読みました。

京都から大学を変える(祥伝社新書)

 

著者は京都大学で総長をやっておられた方です。京都大学の入試や研究システムの改革について書かれています。

思修館や白眉プロジェクト、「異、自、言」など提案される言葉に漢字が多いのが印象に残りました。

しかし、これで何が変わるのかなというのが正直な感想です。AO入試などで入学してきた学生は学力が落ちるといったようなことも書かれていますが、少し、入試に縛られすぎているようにも感じます。大学入試を変えたところで、学生に大きな差など生まれるような状態にないと思います。結局、大学が社会にどう貢献するのかがあいまいなのだと思います。一部の卒業生が研究で国際的な評価を受けさえすればよいというなら、そのような教育が必要でしょうし、企業人としての活躍を望むというなら、また別のことを考えなければならないと思います。何を大学がしたいのかがあいまいなため、結局国際的な大学ランキングをアップさせようぐらいしか発想が出てこないのではないかと思います。

 

昔は大学の代表(学長、総長)は極めて難解なことをしゃべるのが普通でした。この本は平易な言葉で語られ、難解なところは一切でてきません。昔とは違い、より実務的で、会社の経営者のようにも感じました。

 

 

 

華氏451

華氏451を見ました。本の燃える温度がタイトルですが、本が禁止された社会での物語です。トリフォー特集でした。

 

本を読むことが禁止された社会で、主人公のモンターグはいろいろな事情から本を手に取ります。最初に手に取ったのはデビッドカッパーフィールドです。その場面で、普通なら読まない出版社の名前なども読んでしまうところが面白かったです。

 

最後は本を読むことを禁止した機関に目をつけられその過程で人まで殺めてしまいます。殺人者となりましたが、最後はハッピーエンドに近かったと思います。

 

ストーリーはじゅうぶん楽しめましたが、若干の注意も必要なのかなとも感じました。例えば、テレビばかりで、本を読まない妻がまるで、痴呆のようにとりあげられていました。テレビは本よりだいぶ劣ったものということでしょう。話は変わりますが、ラジオは今でこそ教養的なイメージがあります。しかし、その昔は人をダメにするともいわれたようです。ゲームばかりしていては駄目だともいわれますが、時代が変われば、ゲームをしないなんて駄目だといわれるかもしれませんね。結局、活字がどうこうというより、何が重要とされるかは相対的なものだと思います。

イーダ

イーダという映画を見ました。

 

白黒映画で、最後まで、飽きずに見ることが出来るか不安でしたが、非常にも面白かったです。舞台はポーランドで、主人公のユダヤ人が両親のお墓を探しに、叔母と出かけます。

 

両親の死の秘密について、触れられていますが、まだ見ていない人のために静かにします。映画を楽しむためには、歴史的な背景を知らないと不十分な感じもあるかもしれません。ところどころに出てくるジャズが素敵です。今、このブログを書きながら、コルトレーンを聞いています。

我が心は石にあらず

高橋和巳の小説を読みました。内容は、労働組合に所属する主人公が会社と組合の間で翻弄されるというものです。また、妻以外の女性と関係を持ち、そのことでも苦しみます。

 

我が心は石にあらず (河出文庫)

 

小説に、労働組合の理念のようなものが大量に載せられ、論文でも読んでいるかのような気分になりました。また、女性と不倫しているところも単なる男の甘え以外の何物でもないです。何が苦しいのかよくわからないというのが読後の感想です。今の時代に理解されるのは難しいでしょうね。